
まいこさんのジャーニー
まいこさんのプロフィール
患者との関係性 親
病気発症時のご年齢 30代
性別 女性
病名 網膜芽細胞腫
診療科 眼科・小児科
治療箇所/部位 目
- 2016年7月
- 初期症状
- 診察のきっかけ
- 病気判明
- 2016年7月
- 選択肢
- 方針決定
- 2016年7月~
2018年8月- 治療前の準備
- 治療中の出来事
- 治療の感想
- 治療後の経過
- 2024年8月
- 伝えたいこと
- 感想
まいこさんの体験談
病気の診断
初期症状が現れた時期:2016年7月、病気判明の時期:2016年7月
初期症状
〇目線が合わない
次男が生まれて生後2週間、顔を見ても目線が合わず、、子供は個人差が大きいので「こんなものか?」と思っていた。その他、目がおよぐ眼振という症状11があった。
診察のきっかけ
〇発見 白色瞳孔
2016年7月28日、次男が生まれて生後3週間の時の事。いつもは素手で抱っこをしていたが、その時は新しく買った抱っこ紐で抱っこしていたため、いつもと違う角度で子供の顔を見た。その時右目がオレンジ色に光った。 網膜芽細胞腫は「白色瞳孔」といって目が光る12ことが特徴という事は事前に知っていた。自分の病気は子供への遺伝の確率が1/2であること、おそらく白色瞳孔らしきものを見つけてしまった事で高確率で次男が網膜芽細胞腫を発症しているだろうという事がこの時点ですでに分かった。大学病院に電話をしたところ、翌日一番で受診をするように言われた。
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病気判明
〇事前に医師から聞いていたことと違った結果13だった。
自宅で白色瞳孔を見つけた時点ですでに、網膜芽細胞腫だという事が分かっていたが、病院で眼のエコーをした際には自分の予想以上に腫瘍が大きかったこと・片側だけではなく反対の目にも腫瘍があった14事を知り絶望した。
妊娠した際に、医師からは「遺伝15の心配がありますが生まれたら生後1か月頃に検診をしましょう」と言われ、生後1か月検診の予約を入れていた。しかし生後3週間の時点で腫瘍が視神経に接するまでに大きくなっており、視神経から脳への浸潤の危険性があった。この大きさから考えると生まれる前の状態で、すでに腫瘍は大きくなっていたとの事。今はぎりぎりの状態でこれ以上大きくなると両目摘出が必要と言われた。
〇希少疾患は医師でも「わかっていることが少ない16のでは?」と感じた。
インターネットや論文などでは、子供への遺伝を心配する場合「生まれたらなるだけ早く受診して治療すると軽く済む」と言われていた。生まれる前から腫瘍が大きくなる可能性はどこにも書いていなかったし、ガイドラインやインターネットで書かれていること現実に起こっていることは全く違うと感じた。
治療方針の検討
検討時期:2016年7月29日
選択肢
〇抗がん剤治療開始と両眼球摘出の可能性
一刻も早く治療をするとの事で、診断後翌日から入院し抗がん剤治療開始。新生児であったため使用量は想定されている投与量の半分から始めた。まずは抗がん剤を6クール。4クール目からは全身麻酔をし、両眼球に対するレーザー治療を併用して行う。万が一腫瘍が小さくならなかった場合は両眼球摘出により全盲となる可能性があると言われた。
方針決定
摘出しない場合は、抗がん剤1択であった。(大体のケースはどこも同じだと思います)
治療のプロセス・結果
治療の時期:2016年7月〜2018年8月ごろ
治療前の準備
〇大阪での治療と東京での治療
抗がん剤は月に1回行った。2泊3日の入院で6回繰り返したが、途中で腫瘍の制御ができなくなり二次治療のため、A病院へ転院。
カテーテルを大腿動脈より眼動脈まで直接進めて17腫瘍に抗がん剤を注入する眼動18注を行った。それでも腫瘍が眼の中に散らばり播種した。対策として眼球に直接針を刺して抗がん剤を注入する「硝子体注入19」を行った。東京のA病院は10回の全身麻酔と眼動注・硝子体注入・レーザー治療などの治療を行った。毎回の入院・治療の際には全身麻酔下で眼底検査を行い、腫瘍が小さくなっているかを確認された。総入院の合計回数は16回~18回ほどだったと思う。
治療中の出来事
〇母親としてつらかったこと
全身麻酔で子供は毎回嘔吐した。治療していた当時は新生児~1歳半で食事は母乳あったので・・・親の立場としては全身麻酔前日に丸一日赤ちゃんにミルクがあげられない事が母親としてつらかった。
〇母子同室24時間完全付き添い
母子同室の入院であったため完全介護で24時間付き添った。自分も産後のケアが全くできず将来体にガタが来ないか不安だった。
〇副作用?
初めての抗がん剤投与が新生児だったので不安しかなかった。初回の抗がん剤投与が終わってすぐ40度の熱が出て髄膜炎疑いに。(新生児は風邪ひかないため熱の原因が髄膜炎かと疑われた)腰椎と腰椎の間に針を刺して腰椎穿刺を行ったが髄膜炎でなかったので安心した。
治療の感想
〇入院中の事
子供が小さいために意思疎通ができず、子供は入院中ずっと不機嫌で泣いていた。抱っこ紐でずっと抱っこし続けていたことがつらかった。寝る時間がない・ご飯食べる時間がない・お風呂に入れる時間がない。ご飯は毎食コンビニで子供が寝て寝静まった消灯時間に談話室で食べ、子供が寝ている小さい子供用のベッドで添い寝していた。
〇遠方移動の事
A病院への入院は毎月新幹線で大阪から東京まで通っていた。交通費は補助もなく自費だったので交通費かさんだ。
新生児を連れて2時間半の移動は苦しかった(座席に座ると泣くために、ずっと新大阪-東京間デッキに立って抱っこをしていた・・・)
治療後の経過
〇治療経過 視覚障害
治療は終了したが視覚障害が残った。両目に腫瘍の痕跡があり視神経が痛んでしまったため現在視力が0.06ほど・視野狭窄があり障害者手帳を保持している。
二次がんのスクリーニングに関しては現在も年に2回B病院検査・問診などを行っている。眼科での検査も年に2回ほど通院している。
伝えたいことと感想
伝えたいこと
〇遺伝性網膜芽細胞腫の当事者が子供を考える際に伝えたいこと。
「子供に病気が発症しているかどうかの検査は生まれてからでも遅くない、早く診断治療すると軽くすむ」と医師からは言われていたし、それを100%信じていたが、生まれてから検査をしたのでは遅かった。生まれる前に病気を診断できる着床前診断をすればよかったと後悔した。自分が病気になるよりも自分のせいで子供が病気になったことは想像以上につらかったので・生まれる前に病気を診断する方法(着床前診断20)も選択肢の一つだと考えても良いのではと個人的には思う。
ただし、着床前診断や出生倫理面で課題がある検査については医師からは(受け身では)教えてもらえない事も多いので患者会に確認するなど、自身で情報収集必須と思いました。
感想
〇価値観:自分で貪欲に情報をつかんで動くと・・結果が変わることがある
出生後1か月の検査予約まで待って過ごしていたら、進行が速いがんのために「今子供の眼はなかった」かもしれない。直感で動いてよかった。その他A病院の治療情報は他の方のブログで集めていたため、ある程度内容が予想できて役に立った。情報は「自分たちの身を守る武器」だと感じる。
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Footnotes
- 【注釈】弱視眼振と呼ばれる、目がゆっくりと左右に揺れる状態
- 【注釈】目が光ることから、猫目現象とも呼ばれます
- 【注釈】調べた範囲の知識と医師自身の経験を上回っていた
- 【注釈】遺伝性の場合両側性が多い
- 【注釈】この母親も網膜芽細胞腫の患者であった
- 【注釈】出生17,000人に一人の確率で生じる
- 【注釈】大腿部の動脈に細い管を差し込み、眼球に行く動脈まで先を進める高度な手技
- 【注釈】選択的眼動脈注入
- 【注釈】硝子体内(眼球の丸い部分)に癌が播種(はんしゅ:散らばっている状態)している場合に適用される治療法
- 【注釈】体外受精した受精卵の一部取り出して遺伝子や染色体の異常の有無を調べる技術のこと。異常がなければ子宮に戻して妊娠につなげます。
- 【注釈】弱視眼振と呼ばれる、目がゆっくりと左右に揺れる状態
- 【注釈】目が光ることから、猫目現象とも呼ばれます
- 【注釈】調べた範囲の知識と医師自身の経験を上回っていた
- 【注釈】遺伝性の場合両側性が多い
- 【注釈】この母親も網膜芽細胞腫の患者であった
- 【注釈】出生17,000人に一人の確率で生じる
- 【注釈】大腿部の動脈に細い管を差し込み、眼球に行く動脈まで先を進める高度な手技
- 【注釈】選択的眼動脈注入
- 【注釈】硝子体内(眼球の丸い部分)に癌が播種(はんしゅ:散らばっている状態)している場合に適用される治療法
- 【注釈】体外受精した受精卵の一部取り出して遺伝子や染色体の異常の有無を調べる技術のこと。異常がなければ子宮に戻して妊娠につなげます。
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