重症筋無力症の体験談【SNOWMANさん】

退院後の経過【ざいあん】
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SNOWMANさんのジャーニー

SNOWMANさんのプロフィール
患者との関係性   本人
病気発症時のご年齢 ~10代
性別        男性
居住地区      秋田県

病名        重症筋無力症1
診療科       神経内科
治療箇所/部位   瞼(眼筋)

SNOWMANさんのジャーニー

SNOWMANさんの体験談

病気の診断

初期症状が現れた時期:1956年頃  病気判明の時期:1957年

初期症状

両方の瞼がさがったまま2の症状があった。(私が幼児の頃のこと。両親から聞いたもの)小児重症筋無力症(小児MG)特有の眼瞼下垂の症状である。それ以外の全身症状はなかったと思われる。

診察のきっかけ

幼児の頃、私の瞼が開かない状態が続いている事を心配して、親がかかりつけ医(内科)に連れて行き受診した。かかりつけ医から専門医の受診を勧められ、出身大学の附属病院の専門医を紹介してもらい、受診した結果「重症筋無力症」と診断された。

検査

幼児の頃のことなので覚えていない。ただ、瞼が下がる(眼瞼下垂)だけの症状であり、検査の結果、特に治療は要しないと言われた、と父親から聞いたことを覚えている。70年近く前のことなので、治療法や薬も開発される前だった。

病気判明

 診断時のことは覚えていない。

 幼少期は眼瞼下垂の症状が軽かったが、中学生になり左眼の下垂がひどくなり、話をするとき相手の顔を見続けることができず3、思春期でもあり学校生活で精神的に苦しい思いをした。母に自分は将来、病気のせいで結婚も就職もできない、と苦しい思いを吐露した記憶がある。

治療方針の検討

検討時期:1974年9月~1974年10月

選択肢

東京で学生生活を送っていた大学2年の秋、眼瞼下垂の症状がまた出てきただけでなく、初めて全身症状4が現れた。

シャンプーの時に手が上がらなくなって異常に気付き、重いものは持てなくなり、階段を上り下りしている時に足の力が抜けて転げ落ちたり、嚙む力が入らなくなり食事に長い時間がかかったり、また話すときに発音が鼻から抜けてろれつが回らなくなったり、起床の時に首が上がらないなどの症状が現れて日常生活に大きな支障が出て、精神的にもかなり落ち込んだ。5

実家の親が、県内にある病院に専門医がいるとの情報により受診し、その当時(1974年)重症筋無力症の治療で最も多く臨床を手掛けていたA病院を紹介いただき診察を受けた。即検査入院し、胸腺腫の検査を受けたが、摘出しなければならないくらい肥大していないとのことで手術は受けずに済んだ。

生まれて初めて処方されたのは、対処療法であるコリンエステラーゼ阻害薬6のA錠、B錠だった。

方針決定

 胸腺の検査結果を踏まえ、全身症状ではあるが呼吸困難(クリーゼ7)はなく症状としては重篤ではないとの先生の判断により、ステロイドによる入院治療を免れ、退院することができてホッとした思いだった。今から50年ほども前のことである。

 その後、通院しA錠、B錠を処方してもらい、特にA錠は思いのほかよく効いて症状の回復が早く、先生からも驚かれたことを覚えている。8

治療のプロセス・結果:コリンエステラーゼ阻害薬(A錠、B錠の服用)

治療の時期:1974年9月~1997年5月

治療中の出来事

私の場合、A錠は効いたがB錠はほとんど効かなかったので、A錠だけを処方してもらうことになった。A錠は飲み始めて30分くらいで効果が発現し、2~4時間持続する。瞼が下がっていてもA錠を服用すると、しだいに瞼が上がって来る。朝、昼、晩1錠ずつ服用することになっていた。 人と会ったり大学の授業など眼瞼下垂が支障になる用事があるときは、用事がある時間から逆算して薬を飲む時間を調整していた。ただ、効き目がなくなってきた時間に用事が入った時などは薬を飲んでも効き始めるのが間に合わず苦慮したことを覚えている。

治療等の感想

A錠は効き目はあったが、副作用として下痢や腹痛、手足やあごの筋肉のけいれんがあり、特に話すときにろれつが回りにくくなるのは数多く経験した。

重症筋無力症の構音障害(発音が正しくできない症状)とは全く別のもので、A錠が効いている時間だけ感じる違和感だった。それは、就職してから職場で電話を取るときに一番つらかった。職場では、A錠の効きが落ちてきて瞼が下がってきた時と、逆に薬が効いてるときにろれつが回りにくく会社名を発音するのが、うまく言えなかった時が辛かった。

治療等の経過

40代半ば、眼瞼下垂があまりにも辛くてA錠もあまり効かなくなったとき、ステロイドの処方について主治医に相談し、初めて処方してもらったことがある。症状は抑えられたが、やはり副作用がきつくて、だんだん量を減らしていって服用するのをやめた。

40代後半から50歳くらいからは薬を飲まなくても症状はなくなり、主治医からは寛解と考えてよいだろうと言われ、その後20年ほどを経て現在に至っている。

感想と伝えたいこと

感想

生を受けて間もなく病気とともに生きてきたので、実生活の変化や考え方の変化などについては特に感じることはない。

伝えたいこと

20歳前後に全身症状になった時は人生に悲観し、生きるのをやめたいとさえ何度も思った。でも、治療とあわせ同病の仲間との出会いが大きな励みとなり、病気に負けない気持ちを持つことができた。「難病の患者に最も大切なことは人との出会いである」…私の尊敬する神経内科の先生の言葉である。


関連する体験談

  1. 【注釈】筋肉は脳からの「動くぞ」という命令を神経から受けて動きます。その命令を神経から筋肉に引き継ぐコンセントの部分の筋肉側に故障があると、命令が届きませんので筋肉は動けません。コンセントの不都合が軽い時には軽症ですが、不都合が大々的であると筋肉はほとんど動けませんから、それが呼吸器に来ると呼吸困難になり一大事です。重症筋無力症は、このコンセントの筋肉側に問題がある病気です。このような状態が全身に生じると重症です。男女比は1:1.15で女性にやや多く、2/3の患者は60歳以降に発症しています。 ↩︎
  2. 【注釈】重症筋無力症患者の初発症状は眼瞼下垂(瞼が下がる)が70%、複視(物が二重に見える)が40%くらいです ↩︎
  3. 【注釈】早期発見のために、小児重症筋無力症の特徴を知っておく必要があります。以前の写真と比べると眼差しの感じが違う、斜めに見ている、テレビを見ているときに顎が前に出ている、食事に時間がかかる、夕方になるとろれつが回らない、階段を上がっているとすぐに疲れるなどです。 ↩︎
  4. 【注釈】眼の症状で始まった重症筋無力症の病状が全身に及ぶのは、通常、初発症状が出てから2年を過ぎてからのようです。 ↩︎
  5. 【注釈】病状が全身に及ぶと、疲れやすい、手の筋力低下(シャンプーの途中で手が上がらなくなる)、足の筋力低下(少し歩くと疲れる)、発語障害(上手くしゃべれない)、嚥下障害(食べ物が嚙めない、のみ込みにくい)などの症状が出ます。 ↩︎
  6. 【注釈】神経から筋肉への信号伝達を増強する薬です。筋肉が健康であれば、脳の命令が届きさえすれば動けるのです。ですが、これは一時的な対症療法です。 ↩︎
  7. 【注釈】重症筋無力症で呼吸筋(呼吸を行う筋肉:すなわち、横隔膜、内肋間筋、外肋間筋、胸鎖乳突筋他) の力が弱ると呼吸困難が生じます。その状態が急速に増悪し、呼吸不全に陥って人工呼吸器管理が必要となった状態です。全症例の11~15%で生じます。20%で初発症状がクリーゼであったとする報告もあります。 ↩︎
  8. 【注釈】標準的な治療法。[1]対症療法、[2]免疫療法、[3]外科手術があります。
    [1]対症療法:神経から筋肉への信号伝達を増強するコリンエステラーゼ阻害薬と呼ばれる薬が使われます。
    筋肉が健康であれば、脳の命令が届きさえすれば動ける訳です。ですが、これは一時的な対症療法です。
    [2]免疫療法:治療の基本です。副腎皮質ステロイド、免疫抑制薬が使われます。
    そのほかには、抗体を取り除く血漿浄化療法、大量の抗体を静脈内投与する免疫グロブリン静注療法、補体C5と呼ばれる物質を特異的に阻害するモノクローナル抗体製剤があります。
    [3]手術:重症筋無力症患者の約15~20%で胸腺腫が合併しています。その場合には、外科的にこれを取り除きます。胸腺腫は早期に発見されれば一括して切除できる生命予後の良い腫瘍です。 ↩︎

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