B細胞悪性リンパ腫の体験談【kikoさん】

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kikoさんのジャーニー

kikoさんのプロフィール
患者との関係性   報告者本人
病気発症時のご年齢 50代
性別        女性

病名        B細胞悪性リンパ腫
診療科       形成外科→内科→呼吸器内科→血液内科
治療箇所/部位   血液
初期症状      喘息のような咳と微熱

kikoさんのジャーニー

kikoさんの体験談

病気の診断

初期症状が現れた時期:2018年の3月か4月頃 

初期症状

きっと花粉症か大気汚染で喘息になってしまったと思っていた咳。微熱もよく出るようになり、特に原因も思い当たらない頭痛も月に数回起こるようになる。 

少し遠くに外出して帰ってくるともう何も出来ない。やる気はあるのに体は横になりたいと訴えかけてるかのように動けない。日に日に近所の買い物に行く事さえ、やる気はあるのに体はどうしても動かない。 

そんな日々が続くうちに咳が段々酷くなり、朝から晩まで、寝てる時も、ずっと咳が止まらない。心臓が痛くなる事は子供の時からあったが、何故か痛い時間も長くなり息が止まるような事が頻発するように。下を向くと喉からコロンと何かが出てくるような感じ。左右に体を動かすと肺からシュンシュンと音がする。何の音?と不思議に思う日々、、、。 

お腹が空いてるのにいざ食べようとすると殆ど入らず食べ残すようになる。少し歩いただけで息切れするようになり、特に坂道では一歩も歩けなくなる。 

当時変だとも思ってもなく、おかしいから病院へ行こうと思った事もない症状で、そういえば本来の自分とは違う様子が前からあったなと思う事が何個か思い当たる。それは2年前くらいから始まってたような気がする。鞄を肩にかけると肩が内出血してアザになったり、大きな内出血が足や腕に現れたり、靴擦れの治りが悪く跡がずっと残ったり、体が痒くて痒くて夜中も寝ながら搔いてしまう。特に脇、胸の下、足のスネ 足の付根が痒くて、掻いた所は入院した時にもまだ内出血して青くアザになっていた。 

寝汗は暑くなってきた頃くらいからたくさん出るようになっていた。エアコンをかけていても寝汗が出る。「今年の夏は暑いんだなぁ」としか思ってなかった。

診察のきっかけ

2018年8月 

38度代の熱が出たり平熱に下がったりを一日の間で繰り返す日が3日程続き、下がっている時は元気だが熱が上がると起き上がれない。熱が少しましになってきた時、激しい咳の繰り返しで「これはとうとう骨折した!」と思うくらいの胸痛。 

あまりに痛いので形成外科に行く。そこで2、3ヶ月咳が止まらなくてと医師に話をした所、「咳が続くのはおかしいから内科にすぐに行って!」と道路向かいの内科に行くようにと指示を受ける。 

内科に行くとまずは聴診器で肺の音を聞き「喘息かもしれないから薬を吸入してみましょう」と。その前に肺のレントゲンを撮り、レントゲン結果が出る間に吸入。レントゲン結果は医師もびっくりするくらい私の右肺には沢山の水が溜まっていた。 

すぐに大きい病院へ行くよう紹介状を持って、歩いて五分もかからない場所の病院へ何故かタクシーで行く。なぜなら「絶対歩いてはダメ、絶対だよ!」と医師に言われたからだ。 

形成外科の医師のお陰で自分の病気の本当の病名がわかる病院に行く事となる。 

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病気判明

紹介状を持って行っているのである程度の症状は把握してもらっていたみたいで、、早速パルスオキシメーターで数値を測り、血液検査、肺のレントゲン、心電図へ。背中から胸の水を漫画に出てくるような太い注射器で2本分取る(黄色っぽい色だった)。これは検査の為に抜き取っただけであり、決してこれくらいの胸水を減らしたくらいで呼吸が楽になるような事はないと言われる。 

このまますぐに入院して検査する事となるのだけれど、「自宅へ荷物を取りに行きたい」という私の希望は「それはダメです。歩いてはいけません」という医師の言葉で何か悪い病気なのかなと漠然と思うだけだった。当初は呼吸器の病気(医師はガンだとは言ってない)だと思われていて呼吸器内科の医師に診てもらっていたのだが、いろんな検査の結果、のちに血液の病気だとわかる。

とにかく検査検査の毎日。肺と肺の間にある縦隔というところに腫瘍があるのだけれど、心臓に浸潤している可能性もあるらしい。その事も含め、腫瘍の大きさ等を調べる為のヨード造影剤を静脈注射して行う造影CT検査(体がブワーっと熱くなる、機材の中は怖くて目を開けられない、ドキドキが止まらない)、腫瘍の生検をする為のCT(これも目を開けるのも怖い)7、そして生検の為の麻酔(局所麻酔)の注射をされ腫瘍の採取が始まる。生検する為の器具(太い針)は胸の所で何かがグリグリされてる感じで気持ち悪かったし怖かった。転移していないか調べる為の脳のMRI(これもまた怖くて目を開けられない、音も怖い8、またまたレントゲン、血液検査は何回したかもう覚えていない。 

この後にも何度となく経験する事になる痛みなのだけど、生検をした日ストレッチャーで自分の病室まで運ばれて来て、麻酔(生検の最中私自身が動かないようにする麻酔も前もって打たれている)で言葉の呂律がおかしくなってきたあたりから耳が痛い!!もう我慢出来ないくらい痛い!初めての痛さ!痛み止めを早く下さいと心から思った。夜寝ていてもまだ痛い。いつ治ったかも覚えていないけど一応治ったみたいだった。この原因は誰もわからないみたいだった。退院してからもこの耳イタ(勝手に名付けた)には悩まされた。 

いろんな検査の結果、やはり血液のガン9だった。この時は呼吸器内科の医師から聞いた。そして数日後からは血液内科へとバトンタッチされる事になる。 

血液の病気は抗がん剤の治療しかない。とても苦しい治療というイメージがあり、そこまでして生きなくてもいいかなと本気で思っていた。でも最初に診てもらっていた呼吸器内科の医師に「抗がん剤を使えばせっかく治る病気だからしてみたら」と。ひとまず死なない方向へシフトした。 

生検ではどんな種類のガン細胞なのかを詳しく調べ、そしてどんな治療が一番適切かを先生達が考えてくれる。そしてわかった病名が悪性リンパ腫の中の縦隔原発大細胞型b細胞性リンパ腫という名前の、中悪性度の肺と肺の間の心臓の横にある縦隔という部分に腫瘍ができる血液のガン。ソフトボール大くらいの大きさになっていた。どうりで息が小動物のように早い呼吸のはず。圧迫されて苦しかったのだ。あくびも随分長い間出来ていない。あくびをすると最後のところで胸が苦しくて息が吸えない。月単位で進行するからあっと言う間に大きくなったのだろう10。 

咳は相変わらず酷くて、酸素飽和度も悪く鼻にチューブを付けて酸素を吸入していた。 

死ぬかもなぁと思った時、一番に思ったのが、「好きな事もっと焦ってしてればよかったな、いつでも出来るからまた今度と思って買ってなかった物買ってればよかったな、食べたい物さっさと食べに行ってたらよかったな」等々。もし後3ヶ月くらいで死ぬとなるあと何回ご飯食べられのかなとか、時間の短さを実感した。 

治療方針の検討

検討時期:2018年8月

選択肢

カンファレンス室で主人と共に正式に血液検内科の医師から病名を聞いたその場で、すぐにでも始めなければならない治療内容と、その治療は何ヶ月も長く続くという事を聞かされる。準無菌室という部屋へ移動して、5種類の抗がん剤と分子標的薬を24時間6日間継続して点滴、そして2週間空ける。1クール21日間とし、最低でも6回から最高8回行う。回数が増える事に少しずつ抗がん剤の量も増やしていく。R-EPOCH療法 11という。 

幸いにも心臓その他の臓器にはガンは浸潤していなかった。 

悪性リンパ腫の中の、この縦隔の腫瘍の患者の治療はこの病院では過去数名しかなく、また私の年齢は初めてらしい(若い人が多い)。「この症例にはこの治療がよく効くのでこれをします」と。一択だった。 

方針決定

この病院での治療の選択は一択しかない。 

あとは他の病院でセカンドオピニオンを受けてみるという方法もあるが、私は何故かわからないがこの病院でいいと思った。大きな病院という信頼もあっただろうし、家が近いというのもあった。歩いて行ける。ほぼ無菌状態の病室から出てはいけない事、治療の副作用で体も動かなくなってしまう事となった時、この、家が近いという事が非常に助かることとなる。 

病名がわかるまで悪性リンパ腫についてネットでたくさん調べた。病名がわかってからはそれについても調べたが私のような縦隔の腫瘍の症例は殆ど出てこない。今は自分なりに悪性リンパ腫の事を勉強した甲斐あっていろいろと知識も増え、私の病気の治療法がどんなものなのか随分わかるようになった。でもこの時は殆どといっていいくらいわかっていなかった。 

R-EPOCH療法をする事にした。新しい治療法だという事は何となくわかった。いい結果になるかもしれないと思った。 

治療のプロセス・結果

治療の時期:2018年8月~12月

治療前の準備

抗がん剤をするにあたって、首の静脈から心臓に向かって血管内にカテーテルを入れる。退院するまで入れっぱなしにしておく。この管を使って直接抗がん剤を入れたり、血液検査の為の血液を抜く行為も簡単に出来るとても便利なもの。でもこのカテーテルを入れるのが痛い。入れる為の麻酔、これも痛い。私の場合、一度目が失敗という事で一度目を抜かれ、まだ麻酔もあまり効いてない内にまた2本目。痛みに苦しみながらもカテーテルは終わる。二度とカテーテルはしたくないと心から思う。 

立て続けに骨髄穿刺。骨髄にガンが広がっていないかを調べる。これもまた局所麻酔。麻酔を刺すのがとにかく痛い。骨髄を取る時はゴリゴリ、ドンドンと何かカナヅチで打たれてるような鈍い感覚で怖いし気持ち悪い。この骨髄の場所は上を向いて寝れないくらいずっと痛かった。退院してもずっとズキズキした。 

その後私は何故か首が激しく痛くなってしまい、顔色も真っ白になり血管は盛り上がり、レントゲンを撮ってみても何が原因かわからず、でも何かあるかもという事で造影CT検査に行く事となる。しかし異常はなくその痛みのまま、1ミリも動けない体を8人くらいの看護師さんたちの助けをいただき準無菌室へと運ばれていった。 

治療中の出来事

R-EPOCH療法が始まった。 

抗がん剤の前にステロイドを飲む→血糖値が上がるかもしれないという事で数値を測りがら飲む(初回だけ測る)。副作用としてとにかく寝れなくなくなる薬。寝不足のせいで頭痛がする事もある。抗がん剤開始から3クール回目からは睡眠導入剤を飲む事にした。 

抗がん剤をカテーテルから投入→何事もないように抗がん剤が入っていく。相変わらず咳がひどく酸素を鼻から吸入していた。抗がん剤が24時間6日間たっぷりと体に入っていくので、体が浮腫んで5〜6キロ㌘は体重は増える。増えすぎると利尿剤を飲まないといけない事もある。浮腫予防のマッサージと水分を体から出す為の水分補給は欠かせない。 

抗がん剤1クール目が終わる頃、突然歩けなくなった。トイレに行こうと立とうとしたら立てない!絶対無理!その日からどこへ行くのも車椅子で看護師さんに連れて行ってもらう日々になる。酸素飽和度も日に日に悪くなり一時でも酸素を離せないので酸素ボンベを車椅子にセットしてもらって連れて行ってもらう。 

胸痛、いやどこが痛いのかもわからないくらい体が痛い。段々酷くなりいつもベッドの角で丸くなっていた。丸くなると少し痛みが和らいだ。余りの痛さに意識が遠のいて急に痛みが無くなった時が2回あった。 

血液検査を2日に一回もしくは3日に一回くらいのペースでする。白血球や赤血球、その他いろいろ調べ、白血球が減ってしまった時や減るだろうと予測出来る時には白血球を上げる薬を注射する。これはある期間毎日なので痛いしあまり好きではなかった。その薬を使っても数値が下がる時は下がる。下がるといろんな感染症にすぐに罹ってしまう。自身の口の中の細菌で熱が出たりもするし(実際に感染した)、家族が外から菌を持ってきてしまっても大変。だから家族には病室に入ってくる前には手洗いもしくはアルコールで手指消毒、マスクは必須。 

2週間くらい経った頃、髪の毛が抜け始めた。あれよあれよと抜けていき、シャワーをしている時、あのシャワーの圧で抜け落ちていく毛根のヤル気のなさに悲しくなった。頭の髪は残るところは何故かほんの少し残るのだが、抗がん剤が終わる12月頃にはまつ毛も眉毛、顔の産毛等体中の毛がなくなっていく。 

何回も抗がん剤をしていると副作用はどんどん強くなり、指の感覚が無くなって物を持てなくなりなったり痺れたり、指が痛くて寝れなかったり、便秘になってしまうから毎日下剤を飲んだり、爪は変形し紫色になっていき、足の裏の皮は剥けていき、赤血球が減ってしまった時は輸血をした。ドラマなどでよく見る抗がん剤で吐き気があるシーン、今は制吐剤がよく効くようで私は一番最後だけ吐き気が酷くなったけれど大丈夫だった。 

味覚障害も出た。水が不味く感じてなかなか飲めなくて薬を飲むという行為に時間がかかった。いろんな物の味が不思議な味、もしくは不味くなる。お茶は何を飲んでも烏龍茶味。家族に美味しく感じる物を買ってきて貰っていた。退院してからも味覚障害は続いたし、その後もたまに突然この症状が出る時もあった。 

これもとても辛かった副作用の一つで、口の中がただれてボロボロで何も食べられなくなる事。歯が口の中の柔らかいところに当たるだけで口内炎になり、そこから炎症が起き、痛くて食べる事が大変になった。でも最高に辛かったのは最後の6クール目の口の中のただれ。喋るのも痛い。一分粥でも食べられない。流動食や栄養成分が入ったバニラ味のジュース、献立をゼリー仕立てにしてもらった食事等、食べれないくせにお腹に何か入れたくて頑張っていた。 

心臓が急に痛くなる。その時は看護師さんがポータブルの心電図を持ってきて赤やら青のコードを付けたり、遠隔で映し出される私の心臓の様子がおかしければナースステーションから飛んで来てくれる。心毒性のある抗がん剤を使っているので命の危険を感じた。 

常に感じるのが倦怠感。腕がだる~んとなる感じ。「腕が取れそう」とよく薬剤師の先生に言っていた。これもかなりしんどくて動くのが嫌になる。この倦怠感は退院してからも、少しずつましにはなっていったがかなり長い期間あった。 

いろんな副作用が出て、どんどん症状も酷くなって痛くて苦しくて、殆ど毎日しんどくて、ガンではなく抗がん剤で死んでしまうかもしれないと思っていた。 

治療の感想

この治療の感想、一言でいうと、「もう二度としたくない」だ。ここまで辛いとは思ってもなく、病気が寛解するという事はとても良い事ではあるが、退院してからも何年も抗がん剤の副作用に苦しむ事になってしまうなんて思いもよらなかった、、、。 

治療で辛かった事を書くとなると止めどなく出て来る。全部は書けないけれど、ほんの少し、、、。 

治療途中、五臓六腑が体の中でグラグラと横や上下に動く感じがあってとても気持ち悪かった。腫瘍が小さくなって隙間が出来たのだろうか、と勝手に思っていた。 

抗がん剤の副作用で治療中は骨髄抑制が起き、抵抗力がなくなる。そうなるといろんな細菌たちに勝てなくなる。食べ物の中にある少しの菌にも勝てない。だから食事制限が大変。家族に何かおやつや飲み物を買ってきて貰うのにも制限があり頭を悩ませた。これは退院してからも少しの間続いた。 

抗がん剤の量が1クール終わる度に増えていく治療方なので体への負担もどんどん酷くなる。末梢神経がやられてしまう副作用はお箸が持てなくなり、コップは落としてしまう。最初はせともののコップだったのが味気ないプラスチック製に変えなければなくなった。指が痛くて寝れない時は看護師さんがホットパットを持ってきてくれた。「温めるとマシになるからね」って教えてくれた。 

末梢神経がやられてしまうともう元には戻らないとかで、次の1クールだけその副作用を起こさせる抗がん剤の量を増量しなかった。増やさないという事は治りが良くないという結果を生むのでやっぱり次からは着々と増え、副作用がまた酷くなった。また足が動かなくなってしまった。部屋には患者用の特別な洗面台があって、ここの水で手を洗ったり歯を磨いたりするのだけれど、私のベッドから1m先にある。なんとこの距離を歩けない。ベッドに座るのが精一杯。〈抵抗力のない患者さんは、食後は歯を磨く!マウスオッシュを1日に5回以上はする!〉の病院の教えを守りたい私は、テレビ等で見る嘔吐する時に使うような容器を主人に口に当ててもらって歯を磨いたりうがいをした。そう、my箸も洗わなければならないのに自分では洗えないから洗って貰えるのを心待ちにしていた。(今思えば使い捨てを使えばよかったか…) 

この時代で良かったと思った事、それはインターネットがある事。しんどい時はベッドの柵にしがみついて何も出来ないけれど、少し良くなればしんどいながらも横になりながらドラマや映画を観たりした。部屋から出れない私はとても助かった。副作用で眠れない夜は歌を聞いたりしていた。あの時に聞いてた歌は今聞いても入院中を思い出す。 

何日もシャワーをする事が出来ていないある日(首の痛みが酷過ぎる時)、初めて車椅子のままお風呂場に行ける所でシャワーをした。いろいろ便利に出来てるんだなと感心していた。 

カテーテルを首に付けてる場所、そこから絶対細菌感染してはならない。直接心臓に繋がっている管だからとても危険。だからそこに透明のシールをずっと貼っていて、消毒も定期的にする為貼り直す。シャワーをする前は濡れないようにそのシールの上から大きなガーゼとシールを貼る。抗がん剤をしているから肌が弱ってきたのか、元々肌が弱く敏感肌だからなのかは不明だが、退院近くなってきた頃、この透明のシールを剥がす時に首の皮も持っていかれる様になってしまった。何とも言えないピリっ!っとする激痛。薄皮がめくれて透明の汁が出てくる。直接の抗がん剤の副作用ではない事ではあるけれどとてもとても嫌な出来事だった。今も少しだけ痕が残っている。 

治療後の経過・結果

治療後の経過

4クールが終わった後にどれだけ腫瘍が小さくなったかを調べる造影CTをした。前より小さくなっていたみたいだ。胸水についてはレントゲンで定期的に調べていて、少しずつ減っていっていた。 

6クールが終わった後、これで治療が終われるのか、8クールまでしないといけないのかを検討する為の造影CTをした。結果、腫瘍は見た限りでは無くなっているように思える(寛解)ので無事これで終わる事となる。 

腫瘍マーカーとしてのLDH12の値も正常になっている。 

やっと退院の日が近くなってきたが、度重なる抗がん剤で血小板の数値がなかなか良くならない。これが良くならないと、もう必要がなくなる首のカテーテルを抜いたときに血がブハーっと出て止まらなくてなってしまう。数値が良くなる事を願いつつ、まだ治らない口の中のただれのせいで食べられない日々を過ごす。 

家に帰れると思うと急に運動しなければと病院の階段の昇り降りをほんの少ししてみた。このせいで次の日からロボットような歩き方しか出来なくなってしまった。ずっと殆ど歩いてないのにほんとバカな事をしたなぁと今でも思っている。 

気がつけばあくびが出来るようになっていた。多少まだ痛みはあるけれど、我慢出来る痛みだし最後まであくびをしても「ウッ痛っ」とはならない。 

空気に浮遊するカビは危険で退院する前にはエアコンのお掃除を外注した。外へのお散歩も最初は禁止されていた。マスクは絶対外せないし、何かを触ったらすぐ手洗い。「手は一番汚いよ」と病院で教えてもらった。 

治療後の結果

寛解であろうという結果で家に帰った後は、約3週間後PET-CTで全身の検査をする。2週間後の診察でガンは見当たらないと言ってもらえた事で一応ホッとする。 

その後は一ヶ月ごとに診察、退院して1年半経った頃から3ヶ月に一回になり、5年経った今もそのサイクルで経過観察、再発していないかを確認する為の血液検査をしに診察に行っている。 

抗がん剤の副作用は退院してからも継続する。ペットボトルの蓋も開けられないほどの指のこわばり(100均のボトル回すやつ便利)。お料理も出来ない。包丁なんて持てる訳がない。朝起きると体中が固まっていて起き上がる前にお布団の中で伸びをしてストレッチ。ロボットのような動きが何ヶ月も続いた。2年くらいは小走りも出来なかった。ほんの少しずつ昔の動きに戻っていった。腕があまりにも上がらなくなった時は病院に行くキッカケを貰った整形外科にもお世話になった。 

これが一番の心配事だったと思う。それは髪の毛。2ヶ月くらいして少し伸びてきた柔らかいフワフワの毛。「良かった…生えた」。ほんとホッとした。でもまだまだ苔が生えた様な頭にはニット帽は離せない。夏になったら夏用のニット帽を被り、たまにウィッグを付けてみる。このウィッグが暑い!毛が付いてる帽子みたいな物だから暑い!髪がないと直接ウィッグの裏が当たるし気持ち悪かったので私は数回しか使用していない。 

ガン自体から出ていた症状は無くなっているし死なずに済んだのは確かだが、薬物療法で体のいろんなところに支障が出てしまった気はする。 

伝えたいことと感想

伝えたいこと

この病気は悪性リンパ腫の中でも副作用がかなり強く出る治療をします。私はかなり進行してた状況だったと思いますがあれから5年こうして生きてます。何年も前なら治らなかった病気が治る病気になりました。辛さを乗り越えた先に家族とまた食事をしたり、いろんな事が出来る日が待ってると思って頑張る価値はあると思います。 

感想

思ってた以上にこの抗がん剤治療は大変でした。何度も書いてしまうけれどこの辛さを知ってしまったのでもう一度同じ思いはしたくないですね。次はやっぱり無理かな…。変ないい方かもしれませんが、後何ヶ月かで死ぬところを一回生き返らせて貰って満足してます! 

すぐに再発するのではないかと怯えていた私は行きたい所が沢山ありました。そんな私を家族はいろんな所へ連れて行ってくれました。入院生活もいろんな場面で助けてくれていました。誰かが側にいてくれるって嬉しいですね。 

私は今まで大きな病気もした事もなく、体力もある方でした。暴飲暴食や甘い物を食べ過ぎる事もなく、お酒も煙草もしません。でもこの病気は突然なるのですね。不摂生な生活をしていないのにガンになるのです!でも持病がないからこそこの薬物療法をする事が出来たのです。ですからやはり日々健康的な生活を心掛けている事は大切だと思います。 

今もまだ治療する前にしていたスポーツも出来てませんし、前と同じような生活が全て出来てる訳ではありません。もしこの病気になってなかったらどんな人生を歩んでいたのだろう、と思う時があります。病気になったこの人生が一番良かったのだと思える人生になりたいと思っています。

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Footnotes

  1. 【注釈】閉所恐怖症があるのかもしれませんね。そのような人は、検査の時に検査スタッフに伝えてください。丁寧に対応してくれます。
  2. 【注釈】CT検査よりも検査に掛かる時間が長く、確かに音も大きいです。目を閉じて、ヘッドホンを付けて音をシャッターアウトするものですが。
  3. 【注釈】代表的な血液のがんは、白血病と悪性リンパ腫です。大きな違いは、白血病は白血病細胞が血中で増え、悪性リンパ腫は全身のあちこちに腫瘍をつくります。死亡率は白血病が人口10万人に対して7人ですが悪性リンパ腫は11人と多くなります。その悪性リンパ腫には沢山の種類があるのですが、全体の3分の2がB細胞と呼ばれる種類なのです。
  4. 【注釈】悪性リンパ腫が現れやすい部位は、首やわきの下、足の付け根などリンパ節が多いところです。ですが、この方のように体の中で始まる場合も少なくありません。体の中で起きると見つかりにくいものです。
  5. 【注釈】6つの文字はすべて医薬品の頭文字です。多剤使用は単剤使用よりも効果があります。また、病気により、治療法が確立されています。病気によりつかう薬が違いますという事です。
  6. 【注釈】乳酸脱水素酵素
  7. 【注釈】閉所恐怖症があるのかもしれませんね。そのような人は、検査の時に検査スタッフに伝えてください。丁寧に対応してくれます。
  8. 【注釈】CT検査よりも検査に掛かる時間が長く、確かに音も大きいです。目を閉じて、ヘッドホンを付けて音をシャッターアウトするものですが。
  9. 【注釈】代表的な血液のがんは、白血病と悪性リンパ腫です。大きな違いは、白血病は白血病細胞が血中で増え、悪性リンパ腫は全身のあちこちに腫瘍をつくります。死亡率は白血病が人口10万人に対して7人ですが悪性リンパ腫は11人と多くなります。その悪性リンパ腫には沢山の種類があるのですが、全体の3分の2がB細胞と呼ばれる種類なのです。
  10. 【注釈】悪性リンパ腫が現れやすい部位は、首やわきの下、足の付け根などリンパ節が多いところです。ですが、この方のように体の中で始まる場合も少なくありません。体の中で起きると見つかりにくいものです。
  11. 【注釈】6つの文字はすべて医薬品の頭文字です。多剤使用は単剤使用よりも効果があります。また、病気により、治療法が確立されています。病気によりつかう薬が違いますという事です。
  12. 【注釈】乳酸脱水素酵素

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